ザ・ノンフィクション 19歳の漂流~妊娠…出産…家族を求めて~ 思ったこと
問題を抱える少女たちを救う活動をするNPO法人「BONDプロジェクト」の橘ジュンさんと19歳のセナさん。
そして、11年前に橘さんが活動を始めるきっかけとなった、当時19歳のマリさんとのドキュメンタリー。
番組の冒頭で橘さんが真剣な顔で「ちゃんと、逃げたりとか、うざいとか、むかつくとかいう言葉だけでなく、どうしてそう思うのか伝えてほしい」と少女に伝えた言葉。
自分自身にもすごく突き刺さりました。
私があの少女自身だったら、橘さんのあの表情、トーンが怖くてなにも入ってこなかったかもしれない。
私は人の感情やらにとても弱く、状況とかに気持ちが対応するのに精いっぱいで、目の前で感情の入った話を聞いてもあまり自分の中に入ってこない。
馬の耳に念仏だ。
けれど、テレビ画面を通すと冷静なまま言葉がすっと入ってくる。
わたしも、自分を言葉にするのがとても苦手で、言葉にするにしても「めんどくさい」とか単語で終わらせてしまう。
「どうしてそう思うのか」が全くない。
自身で思うことは、他人とのやり取りを諦めてしまっているということ。説明してもきっと分かってもらえない。
話すだけ、無駄。話しても受け入れてもらえず、傷つくだけだと。
そして、そもそもどうしてそう思うのか、自分自身が分かっていないのかもしれない。
考えることを、人生のどこかの時点かでやめてしまったのかもしれない。
自分自身を生きることを放棄してしまったのだろう。
きっと。
そんな私から見ても、セナさん、マリさんの妊娠、出産に関する生き方は理解しがたい。
なぜ、おなかの子供の父親に告げないのか。
少しでも責任を果たしてもらおうとしないのか。
自分ですべての問題を引き取ってしまうのか。
自分で抱え込んでしまっても、きっと問題を解決する術はないのに。
問題に向き合う力がないのかもしれない。
彼女たちに比べたら私はとても恵まれた環境にいる。
だから、自分と彼女たちが同じだというのは違う。
同じだと言ってしまうことは、過酷な状況を生きている彼女たちにすごく失礼な事だろう。けれど、共感する部分はたくさんあった。
不安定さ。
生きづらさ。
苦しさ。
虚しさ。
……。
ただ、セナさんが現実に向き合い、前向きな気持ちで出産にのぞむ姿に希望を持てた。
マリさんやセナさんたちのように、悲しい思いを抱えながら生きる人たちが少しでも減ってほしい。
生きづらさを抱える人たちが生きやすい世の中に少しでも近づけるように、そう願ってやまない。